「きょうの詩 あしたの詩」とは

「きょうの詩 あしたの詩」は、日本作詩家協会の会員だけの作品集です。新人もベテランも、毎年一篇をこの詩集のためだけに書きます。ここに、会報205号の記事「詩謡集の意義を考える」を掲載します。 年刊詩謡集「きょうの詩 あしたの詩」がどういった詩集かがおわかりいただけるかと思います。また同時に、日本作詩家協会の設立当時の想いも少しお伝えできるのではないかと、ぜひお読みいただけると幸いです。

作品集はこちらからお求めいただけます。

詩謡集「きょうの詩 あしたの詩」の意義を考える ~二松学舎大学を訪ねて~

 詩謡集「きょうの詩 あしたの詩」は、1970年から47年間、1回も欠かさず発行されてきました。我が協会が誇れる事業と評価されております。歴代の詩謡集委員の方々のご尽力に敬意を表します。
 このたび広報委員会で、詩謡集の発行や我々が作品を寄せる意義について記事にすることになり、どうすれば意義に迫れるか思案した結果、詩謡集が所蔵されている二松学舎大学を訪ねてみることとなりました。
 さすが国文学の雄、図書館には、国文学・東洋文学の蔵書から知の香りが漂う。パソコンで変換して「漢字を書いている」我が身には身が引き締まる場所でありました。

二松学舎大学と詩謡集所蔵のご縁は、水木かおる先生

今でも、学生さんのために、奥様が新しい本などを寄贈されているそうです♪ 水木かおる先生は、1926年東京生まれ、二松学舎を卒業。「アカシアの雨がやむ時」「くちなしの花」「みちづれ」「二輪草」など、数々のヒット曲を作詩された昭和を代表する作詩家。
 1999年に亡くなったあと、奥様から、水木先生所蔵の本が1万2千冊、作詩賞の数々のトロフィーや盾やレコードやCDなど遺品が多数寄贈されたそうです。
 その蔵書の中に「きょうの詩 あしたの詩」があり、協会員であった水木かおる先生も作品を寄せていらっしゃいます。そのご縁で、毎年二松学舎大学に「きょうの詩 あしたの詩」を作詩家協会が寄贈している。「水木かおる記念文庫だより」に紹介された、我が詩謡集!!!また「水木かおる記念文庫だより」にも、詩謡集の紹介をしていただいたりと長く交流が続いている。
 「水木かおる記念文庫」を訪ねると、「論語」「源氏物語」「古事記」「閑吟集」など国文学出身の先生らしい蔵書の書架の一段に、ずらっと並んだ詩謡集を見つけた時、感動というか誇らしいというか、この場所にある詩謡集に作品を寄せる意義に少し触れることができた気がしました。とにかく、国文学・小説・詩集・歌謡曲のレコードなど、ありとあらゆるジャンルの所蔵に圧倒されました。

二松学舎大学では、詩謡集を借りる学生さんがいる?

 時折、「きょうの詩 あしたの詩」を借りて読んでいる学生さんがいるそうだ。和歌や短歌や俳句の学びの中で、日本語の歌謡詩に興味を持つ学生も少なくないとか。また、協会のある四谷からほど近い九段校舎に貸し出されることもあるそうだ。
 水木かおる先生の奥様は、歌謡曲の世界を若い学生さんたちにも知って受け継いでほしいと歌謡曲関連の遺品を寄贈されたと伺い、この詩謡集が若い方へ貸し出され続けているということは、私たちが紡ぐ言葉もその一端を担っているのかもしれない、これもまたひとつの意義ではないのかと感じた。

初代会長サトウハチロー氏の詩謡集に寄せた冒頭の言葉(抜粋)

 「今年より来年、さらに次の年は、いまの詩よりもなおすばらしいものを書きたまえ」
 「先達も売れっ子も駆け出しも、文句一つ云わずに、書きおろしを寄せ合っている」
 「三篇でも五篇でもならべられるなら、さらりとしたものや、あどけないものや、ラブソングなどをそろえて出します。ところが、たった一篇なのです。誰でも自分の味と特色が出ているものを出します。それがおもしろいのです。」

「詩謡集」の意義とは?

 最後に、詩謡集に作品を書く理由は、会員それぞれかもしれない。が、初代会長の言葉や今回の二松学舎訪問を通じて、広報として意義についてまとめさせていただきたい。
 詩謡集は、未発表の新作・書きおろしであり、依頼された仕事としての作詩や、コンテストに応募する歌手を想定された作詩などとは違い、各自が自由に歌詞を書いて発表する場だ。創作の原点を問い直す場でもある。詩謡集は、協会が業界に売り込むために創刊されたものではない。しかしながら、レコード会社・音楽出版会社・プロダクション・日本作曲家協会などに寄贈されている。詩謡集に目を通されている業界の方も少なくない。
 最後に、二松学舎大学図書課・課長の山口洋子様、訪問を実現していただき、丁寧にご案内いただいたことに感謝申し上げます。

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